女閨訓について
鴛鴦閨房秘考を元ネタに四十八手を書きました。
その後をどうしようかとふらふらしていたら「女閨訓」を知りました。
ネットでは興味本位な取り上げ方でフェラチオなどの部分が断片的に取り上げられているだけ。
知る切っ掛けもフェラチオの部分でしたが・・・
本を探すと唯一見つかったものが、『男女のしかた』-江戸・明治の艶学 夏目房之助著。
この本では次の様に紹介されています。
★『女閨訓』---明治の才媛用結婚教書
『女閨訓』は、江木欣々女史が子女に書き伝えた結婚教書と云われるもので、明治39年(1906)年刊とされている。
江木欣々は、本名えい子。明治10年(1877)年、愛媛県令(今の県知事)の次女に産まれたが、新橋の芸者となって、美貌をうたわれた。
のちに19歳歳上の法律学者、江木衷 と結婚。書画、詩、謡曲、乗馬と趣味がひろく、才気煥発 で社交界に名を馳せたが、大正14(1925)年、夫と死別。
『江戸文学事典』には「以来寂寞 な生活を送り、昭和5(1930)年自殺」とある。正面から相手を見つめ、情熱的に愛する明治の女の、折れる様な死を思わせる。
これは、そういう女性の書いた(といわれる)、性の啓蒙書である。
【補足13/4/12追記】
その後の調べで、父の関新平と正妻の子ではなく、女中との間に生まれた。生後直ぐに神田(東京)へ
養女として出されている。妹(正妻の子)は「ませ子」で成人してから交友があったようだ。
上の肖像画のモデルも欣欣ではなくませ子との説もある。
16歳で細川家の家老の正妻になるが一年で死別。その後、新橋の芸者になったとあるが芸者まではなって
いなそうだ。(花柳界は複雑で・・・傍から見れば同じなのかもしれない)
彼女を回想したエッセイがあるが、その中で晩年に子供が無かったことを後悔していたとある。
また、大正時代は彼女の記事が新聞や雑誌に多く取り上げられいた。家には出版関係者が多く出入りして
様だ。女閨訓がどの様に書かれたかは不明。関東大震災で被災し東京の家は火災で焼け落ち、軽井沢の
別荘に置いてあったものだけが被災を免れたとも書かれている。
この本では女閨訓抄となっていて、ところどこで省略されている。
全文はないかと探したら、蔵書の中に「女閨訓全」とあるものが見つかった。
その本の紹介(抜粋)は、愛する子女に書いて傳 えたと云われるもの。明治期随一の結婚教書とされ「婦女庭訓」と呼ばれている。主として女性に対し、結婚生活に伴う性行為を具体的に懇切丁寧に書かれている。
明治期唯一の結婚教書とまで褒め称えられてのだから多岐に渡る内容かと思うと、性行為にスポットを当てたものです。「全」とあるのは全文と考えたが疑問が残る。目次はないので章立てを書くと次のようになります。
・序
・閨中一般の心得
・新婚の心得
・男女同権の弁
・種々な方法に就いての心得
一、本間 二、茶臼 三、駒懸 四、横取り
・碍ありてうけられぬ時の心得
一、素股 二、衆道(AF) 三、口取り(フェラチオ)
一通り目を通した感想は、目から鱗だったり頷ける部分が多々あった。
四十八手を書き進むに連れて何か変と思う様になっていたのだが・・・
種々な方法に就いての心得の終わりには「以上で大体の仕方は尽きる。~略~多くはただ筆先の空言にして実用叶わぬ事と知るべし」と四十八手などを見事に切り捨ている。口取り(キス)も詳しく書いてと思ったのでこれを加えても8手!・・・
また、碍ありてうけられぬ時の心得などは、現在で、変態行為と云われかねないものも、夫の浮気をさせぬため方法と取り上げている。女の情念と云うか、少し怖さを感じるところ。
変態行為と云われかねない行為なので、詳細な記述ともなれば。官能小説でも読まないと判らない様な内容が詳細に書かれている。しかも実用性が優先されオーバーな表現になっていないのが良い。
江木女史が書いたかどうかは知らないが、女性の目線で書かれいて、少なくても女性が考え書き記したことは間違いないようだ。
性の啓蒙書と評されるだけのことはあり過激とも思えなくないが若い女性が読んで頭の片隅におくだけの価値はありそうだ。
本をそのまま書き写し初めて見たもの、明治期に書かれたもので、若い人が読むには読み辛いと思ったので、口語訳を考え併記します。
口語訳は出来る限り辞書を引き意味を取り違えない様にしようと思いますが、そこは、国語が大嫌いな者なので、上手くは書けません。変なところや間違いも出てくるでしょうから、原文も併せて読んで下さい。
明日から少しずつアップしていきたいと思います。
関連ページ
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48手-岩清水 女閨訓-序1
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その後をどうしようかとふらふらしていたら「女閨訓」を知りました。
ネットでは興味本位な取り上げ方でフェラチオなどの部分が断片的に取り上げられているだけ。
知る切っ掛けもフェラチオの部分でしたが・・・
本を探すと唯一見つかったものが、『男女のしかた』-江戸・明治の艶学 夏目房之助著。
この本では次の様に紹介されています。
★『女閨訓』---明治の才媛用結婚教書
『女閨訓』は、江木欣々女史が子女に書き伝えた結婚教書と云われるもので、明治39年(1906)年刊とされている。
江木欣々は、本名えい子。明治10年(1877)年、愛媛県令(今の県知事)の次女に産まれたが、新橋の芸者となって、美貌をうたわれた。
のちに19歳歳上の法律学者、
『江戸文学事典』には「以来
これは、そういう女性の書いた(といわれる)、性の啓蒙書である。
【補足13/4/12追記】
その後の調べで、父の関新平と正妻の子ではなく、女中との間に生まれた。生後直ぐに神田(東京)へ
養女として出されている。妹(正妻の子)は「ませ子」で成人してから交友があったようだ。
上の肖像画のモデルも欣欣ではなくませ子との説もある。
16歳で細川家の家老の正妻になるが一年で死別。その後、新橋の芸者になったとあるが芸者まではなって
いなそうだ。(花柳界は複雑で・・・傍から見れば同じなのかもしれない)
彼女を回想したエッセイがあるが、その中で晩年に子供が無かったことを後悔していたとある。
また、大正時代は彼女の記事が新聞や雑誌に多く取り上げられいた。家には出版関係者が多く出入りして
様だ。女閨訓がどの様に書かれたかは不明。関東大震災で被災し東京の家は火災で焼け落ち、軽井沢の
別荘に置いてあったものだけが被災を免れたとも書かれている。
この本では女閨訓抄となっていて、ところどこで省略されている。
全文はないかと探したら、蔵書の中に「女閨訓全」とあるものが見つかった。
その本の紹介(抜粋)は、愛する子女に書いて
明治期唯一の結婚教書とまで褒め称えられてのだから多岐に渡る内容かと思うと、性行為にスポットを当てたものです。「全」とあるのは全文と考えたが疑問が残る。目次はないので章立てを書くと次のようになります。
・序
・閨中一般の心得
・新婚の心得
・男女同権の弁
・種々な方法に就いての心得
一、本間 二、茶臼 三、駒懸 四、横取り
・碍ありてうけられぬ時の心得
一、素股 二、衆道(AF) 三、口取り(フェラチオ)
一通り目を通した感想は、目から鱗だったり頷ける部分が多々あった。
四十八手を書き進むに連れて何か変と思う様になっていたのだが・・・
種々な方法に就いての心得の終わりには「以上で大体の仕方は尽きる。~略~多くはただ筆先の空言にして実用叶わぬ事と知るべし」と四十八手などを見事に切り捨ている。口取り(キス)も詳しく書いてと思ったのでこれを加えても8手!・・・
また、碍ありてうけられぬ時の心得などは、現在で、変態行為と云われかねないものも、夫の浮気をさせぬため方法と取り上げている。女の情念と云うか、少し怖さを感じるところ。
変態行為と云われかねない行為なので、詳細な記述ともなれば。官能小説でも読まないと判らない様な内容が詳細に書かれている。しかも実用性が優先されオーバーな表現になっていないのが良い。
江木女史が書いたかどうかは知らないが、女性の目線で書かれいて、少なくても女性が考え書き記したことは間違いないようだ。
性の啓蒙書と評されるだけのことはあり過激とも思えなくないが若い女性が読んで頭の片隅におくだけの価値はありそうだ。
本をそのまま書き写し初めて見たもの、明治期に書かれたもので、若い人が読むには読み辛いと思ったので、口語訳を考え併記します。
口語訳は出来る限り辞書を引き意味を取り違えない様にしようと思いますが、そこは、国語が大嫌いな者なので、上手くは書けません。変なところや間違いも出てくるでしょうから、原文も併せて読んで下さい。
明日から少しずつアップしていきたいと思います。
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